少し前になりますが、久しぶりのボランティア要請があり仕分けに行って来ました。
以前参加したときは救援物資の受付もあり、凄まじい量のモノをひたすら種類別に分けるのが精一杯でしたが、今回はそれからいろいろ状況も変わって来たようで、前につめたものをさらに細分化するため、またすぐに要望のあったものを見つけられるように細かい仕分けをする作業となりました。
また、ほんの1ヶ月とはいえ、必要なものが春・夏用、作業用など、あれほど集まっていた防寒着はまるで出番がないようで…。
今回、同じ日に作業をした人の中に、阪神淡路大震災のときに大阪から民間のボランティアとして10年以上参加されていた女性の方がいらっしゃいました。途中からは物資の援助ではなく、ただただ被災された方達のお話を聞くことが主だったそうです。中越大震災のときも孤独死された方が多かったと聞きます。やはり、私たちが起きたことを忘れないよう、長く長く心を寄せ続けることが大事ですね。。。
前回から何となく感じていたこと。自治体とボランティア志望の間の温度差。上越市では市の体育館が避難場所として利用されていました。前述の女性の話によると、その体育館に足を運んだ時、被災されていた方たちに配られていた食事は、仕出し弁当とチューブ式のみそ汁だったり、菓子パンだったりしていたそうです。ここは被災地な訳でもなく、あまりの質素さになぜ、もっと温かい食事を用意してあげないんですか?、ボランティアでさせてもらえないんですか?と行政に問い合わせたところ、「いや、検便してもらわないと…」「いや、O-157が…」の対応。激怒したそうです。
私がボランティアを志望した時、当然食事のお世話も必要だろうしな、思っていましたが、まずは仕分けが大変と聞きその作業に携わりました。食事は違う団体で用意されているんだろうと思い込んでいましたが、その話を聞きびっくり…。被災地でないと、食事を提供するには通常の手続きを踏む必要があるようなのです。
でも、その手続きが必要ならボランティアは進んですると思います。細心の注意を払い、衛生面も気を付けて、少しでも美味しいものをお渡ししたいと思います。今回、ボランティアとして携わって思ったことは、自分で考え、動ける人たちがこんなにいるんだ、ってこと。この人たちを使わない手はないのに。 イレギュラーなことにはなるべく関わりたくない態度が丸見えで、とても残念…。
自治体によっても温度差はいろいろあるようですが。自分の住んでいる地域のその姿は悲しいですね。受付でかったるそうにふんぞり返っていた県の方、ここに配置されたくなかったかもしれないけど、そこには東北から来ている方がいるんです。もう少し、思いを致すことはできないの???